2025年7月
新たに経理職に挑戦し始めた34歳の私には、たまに疑問に思うことがある
業務をこなしている最中、月次の締め作業をしている最中
これってなんのためにやっている?
これってやる意味あるかね?
細かい作業、直接業績に関わらなさそうな作業
どうでもいいと思える作業に時間を取られると、そんなことが脳裏をよぎる
思えば、銀行員として働いていた時も(あの時は単純に勉強不足だったが)
なんかよくわからない決算書だな
とか思っていた
そんな私には、とても勉強になった本
要所要所、とても面白かった本(正直、大半は面白くなかった。。。)
「会計の世界史」の、紹介
<要約>
「自分のための記録」に始まり
「出資者のための報告書」に変化し
もう一度自分たちがわかりやすい会計、対外的な報告書としての会計、税金徴収のための会計が並行し
今、「ファイナンス」という新しい、未来に向けた話に変化してきている。。。
簿記はイタリア商人のために生まれた
会計の出発点は、15世紀ごろのイタリア
当時、地中海貿易で活躍していた商人たちは、複数の取引や財産を正確に把握する必要があった
そこで生まれたのが複式簿記
(自分がどんな資産を誰に対して持っていて、誰にどれだけ負債があるかを明確にする必要があった。これを可能にしたのは、”紙”の存在)
重要なのは、簿記の目的が「正しさ」よりも商売を管理するための実務ツールだった点
誰かに見せるためではなく、自分の商売が儲かっているのかを知るための技術だった
財務会計は「外に見せる数字」として発展した
時代が進み、株式会社が誕生すると、会計の役割は変わる
株主や債権者といった外部の利害関係者に対して、経営成績を報告する必要が生じた
ここで発展したのが財務会計
ここでの会計は、「経営の実態を伝える」ことよりも、「利害関係者に説明する」ことが重視されるようになる
減価償却や引当金といった考え方も、将来リスクを織り込むために整備されていった
(減価償却は、鉄道会社が初期投資が多額にかかるため、その費用を平準化しようとしたのが始まり)
管理会計は「経営のための会計」として生まれた
20世紀に入り、企業規模が拡大すると、財務会計だけでは経営判断ができなくなった
そこで登場したのが管理会計
原価計算や予算管理は、利益を正確に報告するためではなく、どの事業が儲かっているのか、どこに無駄があるのかを把握するための仕組み
ここで会計は再び、「経営の内側」のために
現代は「ファイナンス思考」の時代へ
さらに近年、会計はファイナンスと強く結びつくように
重要視されるのは、会計上の利益ではなく、将来のキャッシュフローや資本効率
ROEや企業価値評価といったファイナンス指標は、過去の結果を示す会計とは異なり
未来をどう作るかを考えるための道具
<伝えたいこと>
会計は「真実を写す鏡」ではない
つい、決算書=企業の実態、会計=客観的で中立、と思いがち
「正しい会計」は存在しない
あるのは、その時代・その国・その目的に合った会計ルールだけ
よく挙げられる非常にいい例が、ベンツがアメリカ会計で赤字となった話
ドイツのダイムラー・ベンツがニューヨーク証券取引所に上場した時
ドイツの会計基準では黒字だったが、アメリカの会計基準では巨額の赤字となった
一番大きな要因は、年金債務の評価が決定的に違ったこと
当時、アメリカとドイツの会計基準では「将来の損失・費用」の扱いが大きく違った
アメリカ会計:将来支払う可能性が高い費用は今の時点で費用として計上
<例>:年金債務(従業員の退職後年金)、リストラ費用、訴訟リスク
ドイツ会計:「まだ確定していない将来の費用」はあまり前倒しで出さなくてよかった
結果、年金債務と認識された部分が一気に費用化し、巨額の赤字となった
この話からも分かるように、その会社の本質が変わったわけでも、まして粉飾をしていたわけでもなく
その国、時代、地域が重視する考え方によって作られた会計基準が存在するだけ
<補足〜会計ルールが変わる理由>
経理の業務をしていると、会計基準が変わることがままあるらしい
直近では、新リース会計基準なるものが登場し、震えている
なぜそんなにルールが変わるのか
例えば
- 減価償却の扱い
- のれんの扱い
- リース会計
- IFRSと日本基準の違い
この答えがまさに、
その時代・その国・その目的にあった会計ルールがあるだけだから
その象徴に感じた面白い内容があって
建物や機械を多く用いる製造業では、それを原価評価しつつ減価償却を行う
金融業では固定資産が少なく、資産のほとんどが金融資産だから時価評価がなじむ
製造業では利益こそ重要、だからそれを計算する損益計算書が重視される
金融業は利益より、時価評価のバランスシートが好まれる
だから、アメリカ・イギリス(金融業が主力)と日本・ドイツ(製造業が主力)の抗争になる
<最後に>
個人的にこの本で一番共感し、常に他の人にも共有したいと思っていることがある
それは、歴史を学ぶことで、あらゆるものごとが普遍的・絶対的な存在ではない
ということを知ることができる、こと
人間誰しも、今生きている世界が全てで、目の前に起こっていることや生活が全てだ
と思ってしまう
でも実は、今は常識のように思えても、過去から普遍のことに思えても、
この数十年のことだと気づける
それに気づければ、それが正しいことなのかの疑問が湧き、本質に辿り着ける可能性が出てくる人生活が豊かになる可能性が増える
ぜひ、いろんな物事についてその歴史を考えたり、調べたりする習慣を
持とう


コメント