はじめに|なぜ添加物について考えようと思ったのか
皆さんは添加物について気にしたことはあるだろうか
何か物を買うときに、商品の裏側を見てほしい
いくつもの添加物が使われていることがわかるはずだ
普段、私たちはスーパーやコンビニで、当たり前のように食品を手に取っている
腐りにくく、見た目もきれいで、味も安定している
とても便利で、今の生活を支えてくれているのも事実だと思う
話は変わるが、「食品の裏側 阿部司著」という本を読んだことはあるだろうか
詳細は割愛するが、とても印象的な部分があった
「自分の家族も消費者だった」
ドロドロのくず肉に、添加物をじゃぶじゃぶ投入して作ったミートボールを、我が子が大喜びで食べていたという現実。
ポリ塩酸ナトリウム、グリセリン脂肪酸エステル、リン酸カルシウム、赤色3号、赤色102号、ソルビン酸、カラメル色素…
このミートボールはそれまでの私にとって誇りでした。
本来なら使い道がなく、廃棄されるようなものが、食品として生きるのですから、環境にも優しいですし、1円でも安い物を求める主婦にとっては救いの神だとさえ思っていました。
私が使った添加物は、国が認可した物ばかりですから、食品産業の発展にも役立っているという自負もありました。
しかし、今はっきりわかったのは、このミートボールは、自分の子供達には食べて欲しくない物だったということです。食品の裏側 阿部司 著 より
この便利さは、本当にすべて必要なのだろうか
その便利さと引き換えに、私たちは何を体に入れているのだろうか
添加物を否定したいのではない
ただ、知った上で選ぶための材料として
添加物の歴史や役割、そして私自身が感じた違和感を整理してみたいと思う
簡単に手に入るご飯には、なぜ添加物が使われているのか
コンビニ弁当、スーパーの惣菜、冷凍食品、レトルト食品
これらに共通しているのは
・日持ちする
・どこで買っても同じ品質
・見た目がきれい
という点だ
少し冷静に考えると、これは不思議でもある
家庭で作った料理は、ここまで長くは持たないし、色も形も毎回違う
この差を埋めているのが、食品添加物だ
添加物は、食べ物を腐りにくくし、食中毒のリスクを下げ、流通を可能にするために使われてきた
特に戦後の日本では、食糧不足や都市化、共働きの増加といった社会背景の中で、添加物は重要な役割を果たしてきた
つまり、添加物は
手抜きやごまかしではなく、社会の課題を解決するために生まれたもの
でもある
自然由来のものと、工業的に作られたものの違い
添加物と一口に言っても、すべてが同じではない
大きく分けると
・自然由来のもの
・工業的に作られたもの
がある
自然由来の添加物
例えば、塩や酢、だし
塩は海水を乾かして取り出すだけだし、だしも昆布やかつお節から旨味を引き出しているだけ
もともと自然に存在するものを、少し加工して使っているにすぎない
人類は何百年、何千年という時間をかけて、こうしたものを食べ続けてきた
その意味で、長い経験の蓄積がある
工業的に作られた添加物
一方で、保存料や合成着色料、人工甘味料などは、工場で化学反応を使って作られる
自然界にそのままの形では存在せず
・腐らせないため
・色を整えるため
・少量で強い甘さを出すため
といった特定の目的のために設計された物質だ
危険だと断定できるわけではないが、自然由来のものと比べると
私たちが長い時間をかけて食べてきた実績は少ない
ここに、私は正直なところ不安を感じている
ソーセージは本当に発がん性があるのか
ソーセージやハム、ベーコンには発がん性があると聞いたことがある人も多いと思う
ただし、これは
添加物そのものが即ガンを起こす
という単純な話ではない
国際的な研究では、加工肉を多く食べ続ける人は、大腸がんのリスクが高まる可能性がある
という指摘がされている
その理由として考えられているのが
・発色剤として使われる亜硝酸塩
・高温調理によってできる物質
・肉そのものの成分
などが組み合わさることだ
重要なのは
量、頻度、食生活全体
の話だという点だ
毎日大量に加工肉を食べ続ける生活と、たまに食べる生活では、意味合いはまったく違う
それでも感じる、自然界にないものへの違和感
私は、自然界にないものを体に入れることに、正直なところ怖さを感じている
それは、危険だと証明されているからではない
長い時間、人が食べてきたという実績がないこと
に対する不安だ
もちろん、工業的に作られた添加物には、保存性や安全性といった大きなメリットがある
ただ、こうも思う
・毎日スーパーに行けないわけではない
・野菜や肉を買えないわけではない
・家で調理する時間が完全になくなったわけでもない
失われたのは時間ではなく
便利さによって、優先順位が下がっただけなのではないか
便利なものと比較するようになった結果
昔は当たり前だった行為が
不便に見えるようになってしまっただけではないだろうか
特に違和感を覚える、着色という目的
保存や安全のための添加物については、理解できる部分が多い
しかし、色をよくするためだけの添加物については、どうしても違和感が残る
・栄養的には問題がない
・安全性にも大きな問題はない
それにもかかわらず
見た目を整えるためだけに手を加え
わずかでもリスクを増やす意味があるのだろうか
私は、そう感じてしまう
無添加が正解なのではなく、選べることが大切
ここまで読むと
添加物はやめるべきだと言っているように感じるかもしれない
しかし、そうではない
・忙しくて調理する余裕がない人
・保存性を優先したい人
・食中毒のリスクを減らしたい人
そうした人が、添加物を使った食品を選ぶのは、合理的な判断だと思う
一方で
・便利さをそこまで求めない
・手間をかけることを苦に感じない
・見た目より中身を重視したい
そう考える人が、自然由来のものを選ぶのも、同じくらい自然な選択だ
大切なのは
知らずに選ばされることではなく
知った上で選ぶこと
おわりに|便利さと引き換えに、何を選ぶのか
添加物は、現代社会を支える重要な仕組みだ
同時に、それは
便利さを前提に作られた仕組みでもある
その便利さを取るのか
それとも、少し不便でも、納得できる形を取るのか
正解は人それぞれだと思う
ただ一つ言えるのは
知ることで、選択肢は確実に増える
ということ
この記事が
自分は何を優先したいのかを考える
小さなきっかけになればうれしい


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