<はじめに>
「1日3食、きちんと食べましょう」
皆さんもこの言葉は幾度となく聞いてきたのではないだろうか
ほとんどの人が、朝昼晩、時間になったら食事をするのではないだろうか
私もほんの5年前まで、1日3食を当たり前としてきた
そんな習慣が変わったのが、「空腹こそ最強のクスリ」を読んだこと
内容は、よく聞く「16時間断食が体にいい」というもの
それから私は16時間断食を開始し、「朝ごはん食べるのが苦痛だったんだな」と気づいた
※あくまでも私の体調や習慣にあっていたというだけで、
友達の中には、朝ごはんを抜くと頭が痛くなるという人もいたので、要注意
ただ、当然のようにこんな素朴な疑問が浮かぶ
そもそも、なぜ私たちは1日3食食べているのだろう?
いつから3食食べているんだろう?
ということで、例の如く調べてみました
<結論>
食べることは人間の3大欲求の一つであり、幸せを感じること
そして、人生は幸せになるためにあるもの
決して我慢して、欲を抑えて、生きていくためのものではない
とはいえ、
食べ過ぎによって体を壊し、体の節々に不備を抱えながら生きていくことは
不幸なことである
私たちが生きている時代がどんな時代なのか
昔と比べてどれだけ恵まれていて、一方で自分で欲をコントロールすることが
求められる時代であるという認識を持つこと
その上で、自分の幸せを考えて、お腹いっぱい食べるのか、腹八分にするのか
そんな選択肢を考える一助にしてもらえるといいなと思う
<3食は、昔から当たり前だったのか?>
調べてみると、まず分かってきたのは、
「3食」という形自体は、実はそれほど新しいものではない
ということ
日本では、江戸時代の後半(1700年代)になると、都市部の職人や商人の間で「朝・昼・夕」という3回の食事が見られるようになる
明治・大正期には、学校や軍隊といった制度の中でも、3食というリズムが採用されていった
ただし、ここで大事なのは、
当時の3食は、今の私たちが想像する3食とは、まったく別物だった
という点
朝食はごく軽く、昼は簡素、しっかり食べるのは夕食だけ
間食は特別なもので、日常的にお菓子や甘い飲み物を口にすることはほとんどなかった
言ってしまえば、
3食と聞いて私たちがイメージするものとは全くの別物であったということ
<決定的に変わったのは、ほんの数十年前>
では、私たちがイメージするような、
- 毎食しっかり食べ
- 空腹を感じる前に次の食事が来て
- さらに間食もある
そんな食生活は、いつから可能になったのだろうか
大きな転換点は、戦後から高度経済成長期、特に1970年代前後
冷蔵庫、電子レンジ、インスタント食品、冷凍食品の登場
1970年代には、コンビニやファーストフードが日本に広がり始め
1971年にはマクドナルドが、1974年にはコンビニが登場
そう、これらの登場によって、私たちの生活は劇的に変化した
「食べたいときに、考えずに食べられる」
そんな環境が、初めて完成したのだ
現代では、食べ過ぎだの生活習慣病だの、色々言われるが、
それ以前の時代人々が食べ過ぎなかったのは、意志が強かったからではない
単純に、食べるには手間がかかり、選択肢が少なかったのだ
<現代人は、本当に食べ過ぎているのか?>
もちろん食べ過ぎている
そもそも冒頭に戻って、現代人は空腹かどうかよりも、
- 時間だから
- 目に入ったから
- なんとなく
そんな理由で、食事を摂るのではないか?
これは人類の歴史から見れば、これはかなり特殊な状況
生活習慣病が増えた背景を、
「意志の弱さ」や「自己管理不足」だけで説明するのは、少し酷だろう
我慢が前提の社会になってしまったのは、個人の問題というより、環境の変化の結果だから
<「3食が悪い」のではない>
ここまで書いてきたが、伝えたいのは「3食はやめた方がいい」という話ではない
3食が合う人もいれば、2食や1食の方が体調がいい人もいる
なんせ私は2食が良い(というより、朝食べるのがめんどくさい、時間がもったいない、が正確)
ただ、それを考える前に、
3食は自然で絶対的なものではない
現代のような3食の文化には50年程度の歴史しかない
という事実を知っておくだけで、選択肢は広がるのではないか
ほんの数十年前と比べて、私たちは確実に食べ過ぎやすい時代に生きている
そのことに気づくだけでも、食べ方との向き合い方は少し変わるのではないか
<最後に>
小さい頃から30年間
3食を当たり前のように食べていた
でも、振り返ってみると、それは当たり前でも自然でもなかった
誘惑が多く、我慢が求められる時代
一方で、3大欲求を簡単に満たせる時代
今日の食事を減らさなくてもいい
断食を始めなくてもいい
ただ、
本当に今、食べたいのか?
そう自分に問いかけてみるのはどうだろうか
それだけで、この文章を読んだ意味は、きっとある
そして、皆さんが他にもいろいろな疑問を持つことにつながれば、
さらにこの記事を書いた意味があったというものである


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